僕の言う「教えない」とは、細かく文法を説明したり、一文ずつ訳し方を解説することをしないということです
では、学校の授業では、やることが無くなってしまうと思う人もいると思います
僕が中学や高校で英語を教えるとしたら、まずは教科書の本文をCDで何回か聴きます(同じページを何度もやらずに、最初のページから最後のページまでを一通り聴いて、また最初から最後までを何回か繰り返しやる)
次に、本文を最初から最後まで何回か繰り返し音読する
そして、本文は日本語に訳さず、各ページは何について書かれているかを短くまとめて口頭で発表する(クラスを数グループに分けて、その中の一人が発表する)
あまりにも知らない単語が多い場合は、気になる単語だけ辞書で調べればいいと思います
この方法でやると、教科書の全ての内容を半年くらいで終われるでしょう
これで、会話以外の英語の能力がかなり付くと僕は考えています
会話をできるようにするには、クラスの人数が多すぎるので、先生がかなり工夫する必要があると思います
小学5年生のTちゃんのレッスンがありました
彼女が入会してから行ったレッスン数は8回で、まだまだ始めたばかりという感じです
今日はリスニングのCDで会話を聴かせて、何の話をしているかを想像する遊びをしました
まず最初にヒントとして、“Saturday”や“Television”など、会話に出てくる単語をいくつか発音練習してから聴きました
会話を聴いたあとで、何を想像できたか尋ねました
まだほとんど英語を音でしかインプットしていないので、会話の内容を理解することはありません
なので彼女には、「楽しい会話」か「暗い話題なのか」など、声のトーンで想像してもらいました
そうすると、答えが正しいかどうかを気にすることなく、思っていることを沢山発言できるようになりました
“Excuse me.”と聞こえたから、女性が男性に道を聞いているなんて言う事もありました
実際にそれは正しかったです
先日、友人がこんな話をしてくれました
友人が台湾へ旅行に行ったときにある台湾人のおばあさんと出会い、色々と話をしたそうです
そのおばあさんは、ある程度日本語を話せたみたいで、友人とそのおばあさんは日本語で会話をしました
そのおばあさんの日本語があまりにも上手だったので、友人は彼女に「きれいな日本語を話しますね」と言ったそうです
おばあさんは、「『きれい』は言葉にも使える表現なんですか?」と質問してきたそうです
日本人からすると、「きれいな日本語」という表現は、誰にでも通じそうな気がしてしまいます
確かに、古い辞書を引いてみても、言葉に対して「きれい」という表現を使えるとは書いていないので、外国の人からすると、理解が難しいのかもしれません
言葉とは生きているので、現代に生きている人がどんどんと新しい表現を作り出すことは、自然のことなのでしょう
だけど、これを日本人の感覚で英語に当てはめて“Clean Japanese”と表現して、ネイティブの人がどう理解するかはわかりません
ということはやっぱり、言語を学ぶときは、ネイティブが使っている言葉を真似ることが、生きた言葉を身につける良い方法なのだと感じます
当教室では、日本語として通じる英語(カタカナ語)を正しい英語発音で言う練習をしています
発音練習の際には、文字を見ずにやっています
大抵の人はそうですが、すでに日本語として頭に残っている語を新しい発音(英語の発音に直す)のは、相当苦労します
今日のレッスンでも、Sさんは僕が発音した通りにリピートしているつもりですが、どうしてもカタカナの発音をしてしまいます
“seesaw”が「シーソー」になってしまったり、“surfing”が「サーフィン」になってしまうのです
これを徹底的に直すには、今までに身につけたものを一度全て忘れ、聞こえた通りに従ってみるということが必要に思えます
小学生のレッスンは、大人と違う部分で気を遣います
その中でも今一番悩んでいるのが、いつから英語で対話することを始めればよいかです
何も知らない子供にいきなり英語で話しかけても、子供は困るだけだと思います
かと言って、“What is your name?”と聞かれたら、“My name is~”だよと教えるのも、ただ言わせるだけであって、会話とは違う気がしています
僕が小学生に対してやっていることはインプットのみで、まだ英語で話しかけたこともありません
ただひたすらリピートとリスニングを、教材を色々と変えてやっています
生徒さんが飽きないように工夫をしながら、半年から一年間はこの方法でインプットに専念するつもりです