最近、Tさんのレッスンで歌の歌詞を読む練習をしていますが、ビートルズの 「LET IT BE」 をやった次のレッスンで、Tさんがこんな話をしてくれました
「この歌の歌詞をインターネットで検索したら日本語訳が沢山でてきたのだけれど、どれも全然違う訳で、どれが正しいのかよくわからない」
見せてもらったら、確かに全然違います
ある言語から他の言語へ訳したときによくあることですが、違う人が訳すと、その人それぞれの感性や、普段使っている言葉遣いなどがあらわれるので、訳した人全員の訳が揃うことの方が稀なケースだと思います
そして、その人それぞれの解釈があるので、「これが正しい」とか、「これは間違っている」というのは言うことができません
歌の歌詞を訳すときは、直訳よりも意訳をすることが多いからという部分が大きいような気がします
実際に、日本語の歌詞だとしても言えることですが、その歌の歌詞にこめられた本当の意味は、作った本人のみが知るものだと僕は思います
最近追加した「植物の単語集」をSさんのレッスンで早速使いました
Sさんはフラワーアレンジメントのお仕事をされているので、植物に興味があることは明らかです
今までも、生活の中でよく使うものや目にするものを単語集にしてやってきましたが、Sさんのように、ピンポイントで自分に興味のあることがレッスンの中で出てきたときに、顔をさらに単語集に近づけて「学ぼう」とするのは、ほぼ無意識的だと思います
「これは!」と思ったものは自発的に学ぼうとするはずなので、生徒さんそれぞれに対して「これは!」というものを準備していけるようにしようと思います
昨日のレッスンで、Kさんが2つのことを言っていました
「今日は勘がはたらいた」、「好きなことを話した時は、先生の言ってることが他の話の時より少し多めにわかった」
「勘がはたらいた」というのは、その前のレッスンの時に僕がKさんに「相手の言っていることが理解できないときは、聞こえてきた単語の中で知っている物をつなげて、どんなことを言いたいのか勘をはたらかせてみてください」と伝えたことが少しできたということです
そして、好きなことを話していると理解度が上がるというのは、多くの生徒さんが経験していることです
僕が思うのは、理解度が上がる理由の一つは、「話をしている相手はきっと、自分がわかることを話しているに違いない」と心の中で思っているため、より集中して相手の話に耳を傾けている気がします
逆に、全く興味がないことについて会話をしているときは、どうしても心の中では、熱心に「人の話を聴こう」というのが弱まるのかもしれません
こう考えるとやはり、生徒さんそれぞれが興味のあるものを教材にすることは大切なことだなとだなと感じます
教える仕事をしていると、どうしても考えてしまうことは「どうすれば生徒さんがこれをできるようになるか」です
そこを、ちょっと見方を変えることによって新しいアイデアが出てくるのではと思い始めました
ちょうど今日の夜から、アートに英語で触れるレッスンが始まります
そのために約3カ月間、アートに色々と触れる機会を自分で増やして、考えることも増えました
あるペインティングについて人と語ろうとしたとき、その作品を見ても何を話していいのか、今の自分にはさっぱりわかりません
それをこれからレッスンの中で参加者と一緒にできるようにしていく予定です
まず僕が頭に思いついたのは、「どうすれば作品について話を膨らませるようになれるのか」でした
ですが、それがわかりませんでした
その後視点を変えて、「何故、話を膨らませることができないのだろうか」と自分に疑問を投げかけた時、自分に足りないものに気が付きました
「だって、作品を見る経験が明らかに不足してるもん」って、リトル渡邉が言いました
考えてみれば、ワインの味を知っている人は、沢山の種類のワインを飲んで、意識的に「これはこういう味だな」と吟味することをやっているから、ワインについて深い話ができるのだと思います
教えることにおいて物の見方を色々な角度から見る大切さは、アートとも共通している気がします
僕は、パナマ人、アメリカ人、メキシコ人などと一緒にサッカーをやったことがあります
その当時(18年くらい前)は、十分に英語やスペイン語を聴き取ることも話すこともできていなかったのに、よくやっていたなと今考えればそんなことを思います
ですが、それと同時に、サッカーをやる人と言葉が通じるかどうかは、一番重要な事ではないということがわかりました
「パスくれ!」でパスをもらえたということは、チームメイトも僕が何を伝えようとしていたのかを一瞬で感じ取っていたのかもしれません
アメリカに留学中、ワシントン州の社会人サッカーリーグに所属して、地元チームの試合に出ていました
英語が徐々にわかるようになってきて、ちょっとした戦術をチームメイトが話しているのを理解できるようになってきて、見えるものが増えていったような気がします
言葉がわかるということは、目に見えない概念を他の人と共有できるようになるということなのだと思います
コミュニケーションの出だしは、言葉に限らず、自分が思っていることをどう表現するのかを工夫すること・・・
英会話を教えるようになって、自分が経験してきたことを伝えられるようになってきたことはとても良かったです