英会話を習う人にとっては、できれば多くの英語表現を使って会話をしたいので、なるべく多くの使える表現を増やす努力をするのは当然です
“How are you?”と聞かれたときに、”I’m fine.”しか言えない・・
「いつも同じ答え方だとつまらない」もしくは「相手に対して自分が手を抜いているのではないか」と思ってしまうことは仕方のないことだとは思います
僕も英語で会話が上手くできなかった頃は、そのようなことをよく考えていたのかもしれません
今は、自分が英会話を教える立場になって感じていることは、「気の利いた表現」を沢山言えることよりも、「会話がいかに流れているか」の方が重要だということです
「会話が流れている」というのは、例えば、言いたいことが英語で頭に思い浮かばなかったときは、ジェスチャーなどの非言語の表現を用いて相手に自分が言いたいことを伝えること
「頭の中で文を作成している間は、相手に何も伝わっていない」ということは、僕がよく生徒さんに伝えていることです
生徒さんは僕からこのことを何度も言われるので、「もうわかったよ」と感じているかもしれません
だけど、僕がこの大切なことを強調して繰り返すのは、人間は「習慣になるまで繰り返さないと忘れる」からです
娘には、沢山の絵本の読み聞かせを毎日行っています
娘を観察していると、会話の中で絵本に出てきた登場人物のセリフを沢山引用しているのに気が付きます
こう考えると、大人が外国語を勉強するときのように、使えそうなフレーズや文を丸暗記して使いながら母語を獲得しているような気がしてきます
だけど、丸暗記したものを使うだけでなく、動詞の時制やその他の活用をいつの間にか使い分けて話せるようになる様子は、大人が外国語を身に付けるのとは違うように見えます
universal grammar(普遍文法)は人間の頭の中にすでにあると、チョムスキーによって提唱されていますが、それにしても大人と子供の学習の質が違うのは、とても不思議なことです
大人はすでに子供よりも多くのことを知っているので、他の言語を学ぼうとしたときに、何らかのバイアスが学習を邪魔したり遅らせていることが、大きく関わっていると僕は思います
「先入観」や「羞恥心」などの心理的な要素を考慮することは、言語を教える人にとってはとても大切なことだと、僕は感じています
言語を使うということは、人がそれぞれの世界を頭の中で作ることです
多くの言語がそうかもしれませんが、それぞれの言語の中の多くの単語や表現には「基準」がなく、あいまいです
例えば、「かわいい」
1歳の子供を見て「かわいい」と言うこともあるし、雑貨屋で見つけたコップが「かわいい」と言うこともあります
ですが、一人もしくは一つに対して「かわいい」と言うときも、人によって感じ方が違うので、「長澤まさみはかわいい」と言う人もいれば、「いや、かわいくない」と言う人もいるでしょう
僕が「基準がない」といったのは、この部分です
フィギュアスケートのジャッジのように、「目の形は5点、耳の大きさは7点・・・」のように点数を細かくつけて、「総合的な点数で、長澤まさみはかわいいということになりました」ということはできません
人それぞれが、自分の頭の中で「これは、かわいい」、「あの人はかわいくない」と言う具合に世界を作っているのだと思います
「英語を話せる」という表現はどうでしょう
だいたい同じくらいのレベルの人が二人いて、一人は「私は英語を話せる」と言い、もう一人は「私は英語を話せない」と言うかもしれません
どちらも自分の世界があるので、どちらも正しいのでしょう
ですが、”Do you speak English?”と質問されて”No, I don’t.”と言ったら、それは「ウソ」とも言えます
“No, I don’t.”・・と英語で話したからです
OFFBEATの生徒さんは、僕から見るとだいぶ会話ができるようになってきたなと思っても、本人は「そうかな~」と感じている人がほとんどです
理由の一つだと僕が思っているのは、レッスンでは文法を教えていないので、「文で話していない」という感覚があるのかもしれません
しかし、30分間英語だけで会話をすることができるのは、事実です
なぜ僕は文法を教えることを止めたのか
それは、「正しい文法を使って話す」意識が高いと、自分が話すときに頭の中で文を組み立てるのにとても時間がかかり、話している相手にもストレスを与えると思ったからです
とにかく、知っている単語を並べて、ジェスチャーなどを加えて一生懸命に伝えれば、相手は何かを感じ取ってくれるというのは、理解してくれている生徒さんも増えてきました
頭の中で文を組みたてるために黙っている間の時間は、相手に何も伝わっていません
僕が大切にしていることは、「話を聞く側が多くの情報を受け取れるかどうか」です
何でも物事を教えるときには、特に初心者に対しては、理屈や複雑なことは教えずに、なるべくシンプルにアウトプットする訓練をするのがよいのではないかと思います
OFFBEATのレッスンでは、1時間の中で大量の情報をインプットするために、一つ一つのエクササイズを行う早さが、とても早いです
映画のシーンを見てセリフを言う練習を、一回のレッスンで5シーンくらい、短いものだったら10シーンくらい練習します
生徒さんはレッスンの中で映画のシーンを見て、一文ずつ頭の中で日本語にしている時間はありません
学校や教える先生によって目的が色々あるので、同じようなエクササイズをやるにしても、丁寧に教えたりスピード重視で教えたりと、様々だと思います
ゆっくり丁寧に教える良さは、生徒さんが納得するまで先生が待つことができること
スピード重視で教える良さは、より多くの情報に触れることができること
僕はスピード重視で教えていて、生徒さんからこんなことを感じています
多くのものに触れると、同じ単語や言い回しがあちらこちらに出てくるのに気づくようになり、理屈はよくわからないけど、「何となくわかるようになってきた」という反応をしている印象を、生徒さんからよく受けます
今年のOFFBEATのテーマは、前年より圧倒的に語彙力を増やすことなので、提供する情報量とスピードを更に徹底しようと考えています