今日は初の筆記体レッスンがありました

F君がレッスンを希望してくれて、受けてくれました

話を聞いたら22歳のF君は、学校で英語の筆記体を習ったことがないそうです

僕の世代は筆記体を書けて当たり前の感じでしたが、もう彼の世代はそうではありません

レッスンの内容はシンプルで、僕が準備した筆記体のサンプルをなぞる、漢字ドリルと同じやり方です

F君は1時間のレッスン中、何度も手首をクルクルとまわしながら、真剣な表情で取り組んでいました

この時代、1時間文字を書き続けることが当たり前ではなくなったのかもしれません

だけど、また手書きの良さというものが、数年後に見直される気が僕にはします

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今日はTさんにとって今年最初のレッスンでした

Tさんは小学生時代をアメリカのサンフランシスコで過ごしました

この年末年始でそのサンフランシスコへ数年ぶりに行ってきたばかりです

レッスンでは、その旅行についてTさんに、1時間ずっとプレゼンテーションのような形で話をしてもらいました

その旅行の中でTさんが感じたこと、「英語が話せることなんて何も重要じゃない」という話が、とても僕の心に残りました

レストランでのこと、注文は英語力のあるTさんにとっては何も問題のあることではありませんでした

だけど、注文を受けたウェイターの表情はこわばっていたそうです

そのウェイターが食事を運んで来たとき、Tさんは彼にニコっとしました

そうしたら、ウェイターの表情がとてもやわらかくなりました

そこでTさんが気が付いたこと、「笑顔でメニューを指させば十分だったんですよ」、「僕に必要だったのは笑顔だったんですよ」

そう話してくれました

コミュニケーションでは、言葉より気持ちの方が大切だということです

「これから英語を習う日本人にこういうことを伝えたい」とTさんはレッスンが終わってから言いました

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今日のUさんのレッスンで、宗教の話になりました

Uさんは頭を抱えながらも、色々とトライしていました

レッスンが終わってから、「いや~、この話題は英語で話すのは難しいですね」と言っていました

多くの人は、難しい話題を避けがちです

だけど、Uさんのように、OFFBEATの生徒さんは難しい話題でも話そうとしてくれます

僕がそんな話題をふってしまうのが、そもそものきっかけなんですが・・・

だけど、実践になれば、相手とどんな話になるかなんてわかりません

そんなときに、「私はその話題については話せません」なんて言っていたら、コミュニケーションがつまらなくなってしまいます

だから難しいことにどんどんトライしていくんです

沢山言い間違えながら、そこからコミュニケーションの本質を沢山学ぶ

これ、大事だと思います

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昨日の高校サッカーの決勝戦、90分間見ました

仕事があったので、延長戦を見れなくて残念

だけど、90分間見られただけでもラッキーでした

両校の気迫がとても見ていて伝わってくる、大激戦だったと思います

シビレました

だけど、テレビでその試合を観戦していて、印象に残った部分が試合の内容ではなく、市立船橋のベンチでした

交代選手がグランドに出ていく前に、これから出ていく選手と監督が笑顔で握手している部分がアップで映されていました

「これ、いいな~」って思いました

絵的にいいとかではなく、選手と監督の信頼関係がとても強いのだろうなと感じたんです

市立船橋の監督は35歳、ちょうど僕と同い年

彼の元々の性格なのか、意識してそうしたのかはわかりませんが、高校サッカーの全国決勝戦で0-1の劣勢にたたされている場面での選手と笑顔のコミュニケーション、素晴らしかった

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今日は午前中に娘を公園へ連れていきました

滑り台の一番高いところへ登ったときに娘が少しフラついたので、手を差し伸べたら、「さわんないで、ちゅべりだいがこわれるぅ~」と言われました(笑)

ところで、子供の言語吸収力はとても早いのはよく知られていますが、不思議なのは、抽象的な概念はどうやって理解し始めるのかという部分です

例えば、時を表す表現(いつ?、今日、今、など)は、果物の名前や動物の名前を絵を見ながら理解することとは別のことに思えます

大人からすれば、教わらないと難しいのが、抽象的な表現です

僕の娘も、まだ2歳ですが、「いつ?」などと質問すると、「今日」などと答えます

ということは、時の概念がわかっていると言えそうです

子供は教わってもいないのに、どうやってこれらの難しいものを理解していくのでしょうか?

日本人の大人が英語を勉強する場合には、「いつ」は”when”というふうに、すでに知っている日本語に訳してしまったほうが理解は早いです

でも、すべての単語を訳して覚えてしまうと、誤った使い方をしてしまうことが多々あります

学校などで英会話を教えるときには、日本語にある程度頼ってしまうのは仕方がないのかもしれないです

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