今日はトヨタカップの準決勝、柏レイソル対サントスFCの試合をテレビで観ました
右サイドバックの酒井選手はいい選手だと思いました、気持ちが入ったプレーをします
その酒井選手ですが、自分がボールを持って攻め込んだときに、相手ディフェンダーと一対一になり、ドリブルで抜こうとしたけど、うまくいかなかったシーンがありました
もともとドリブルが得意ではないのかもしれないですが、それ以上に敵に対する意識が出てしまったように僕には見えました
どんな意識かというと、「相手の方が実力が上である」というものです
そう感じた瞬間に、体っていうのは思ったように動かないものです
僕は25年間サッカーをやっているので、各上相手の試合の時には、自分が舞い上がってしまって、実力を出せなかった経験を沢山しました
サントスFCのネイマール選手はまだ19歳なのに、余裕のあるプレー、あれは精神的に「自分はやれる」と思っているから実力が出せているように見えました
英語を話すときも、外国人をいきなり目の前にすると緊張で何も言葉がでなくなってしまうことは、初心者によくあることです
色々な人と話す経験をすることで、精神的に相手と同じ目線で向き合うように意識することが、英会話においては重要なことのひとつなのかもしれないと思いました
勉強するということは「知る」という感じでしょうか
そうなると、英語を勉強することは「英語を知る」ということです
こういう意味で言えば、日本人は英語を「知っている」わけです
では、なぜ英語を話せない人が多いか?
理由はともかく、勉強するだけでは英語を話せるようにならないということは、ほぼ明らかです
僕が考えたのは、英語を食べるような感覚で体に入れてみてはどうかというアイデアです
毎日毎日7分目の量を心掛けながら、沢山の栄養を取る
そのうちのいくらかは老廃物として忘れる
そして必要なものは血や肉となる
「勉強する」から「食べる」に考え方を変えて、「やらなければ」から「当たり前のようにやる」にすれば、気持ち的に楽になるかもしれないです
英語のレッスン時間の中で、英語でギターを習ってみたいという提案をS君からもらい、さっそく昨日、それを試してみました
僕はよく生徒さんに、「英語を」習うよりも、「英語で」何かを習うことのメリットを話していました
一番のよい部分は、自分が興味あることや必要な事柄についての語彙力がより自然に身に付くところだと僕は思っています
昨日のギターでは、各指の名前、弦、フレット、コード、音符などを英語でどういうかをS君はリアルに学びました
たった一回で何かが身に付くことはないですが、これをコツコツと続けていけば、気が付かないうちにギターを含めて音楽に関する語彙力がかなりつくはずです
ある程度英語でコミュニケーションがとれるようになった方は、ネイティブスピーカーに「英語を」習うのではなく、「英語で」何かほかのことを習えば、一石二鳥ではないかと僕は思います
外国語を学ぶときに文法を勉強することについて、僕は反対ではありません
だけど学習者は、なんのために文法を学ぶ必要があるのかについては、考えないといけないと思います
学ぶ必要がないのに勉強をしていたとしたら、それは的が外れているからです
ところで僕の娘は、もうすぐ2歳と3ヶ月になります
だいぶ話すようになりました
毎日一緒にいるので、意識をしていないと気が付きませんが、2歳児の文法能力はかなり高いです
現在形、過去形、未来形、進行形、命令形などなど、中高生が順序だてて学んでいることを、一度に学習してしまっているかのようです
でも、母国語と第二言語では違うので・・・
もし中学1年生から、幼児が言葉を覚える方法で英語を学習したら、現在学校で教えている方法と比べてどう違いがでるのかというのは興味深いです
母国語を話すときは誰でも、小さい子供のころから教わることなく言葉を覚え、口から出せるようになります
それ以外の言葉を獲得しようとしたら、意識してインプットし、インプットしたものを意識して使う努力が欠かせないと僕は思っています
意識しながら使ったものが、いつの間にか無意識で口から出せるようになってくる気がします
車を運転している人は、教習所に通っていたころは緊張しながら一つ一つの確認までを意識しながらやっていたはずです
免許を取ってしばらく公道を走っているうちに、車線変更するときにはミラーを確認する行為を無意識にやっています
いつまで経っても、「今から車線変更をするにあたり、ミラーを見るぞ!」なんて意識してる人がいたら、その人は珍しいと思います
意識することを習慣づけ、無意識にできるまで続ける
物事を身に付けるのに、大切な要素の一つではないでしょうか