勉強でも仕事でもスポーツでもそうだと思いますが、目標に向かうときの心の中は、「~しなければ」よりも「~したい」の方がモチベーションとしては良いというようなことが、最近読んだ本に書いてありました
これは「~しなければ」が意識で、「~したい」というのは無意識から来ているからだと僕は解釈しています
無意識で体が動くときは自動的なので、目標に向かって自動的に体が動き出しています
僕の場合、ギターを弾いていたらいつの間にか3時間経っていたという状態は、「この曲を弾けるようになりたい」という無意識が動かしています
「~しなければ」というのは、「やりたくないけど・・」というのが含まれることも多々あるはずです
「テストの勉強をしなければ」と思いながら勉強している人は、本当は見たいテレビがあって、それがずっと頭の中で気になっていて、見た目は勉強していますが、頭の中にはほとんど何も入っていない状態かもしれません
モチベーションとは、「~したい」ということ
教える仕事をしている立場の人間として、とても重要なことを学びました
F君はエレキギターを買ったのはいいのですが、あまりやる気が起きなかったという理由で、そのギターをしばらく放置していました
いつかのレッスンでそんな話をしてくれた後、「モチベーションはどうすれば上げられるのか教えてほしい」と彼に質問されたことがありました
そのとき、僕が彼にどう答えたのかは覚えていませんが、モチベーションを上げる方法は僕にもわかりませんでした
先週、F君がギターを教えてほしいということで、午前中のカフェの時間に自分のエレキギターを持って遊びにきました
彼はコードを弾くこともできないので、コードで何かの曲を教えてもその日のうちに何かを得ることなく、またすぐに飽きてしまうかもしれないと思い、簡単なメロディーを3曲くらい教えました
やった曲は、F君が好きなBlankey Jet CityとGreen Dayの曲から選んで、イントロの短い部分などの簡単なメロディーにしました
昨日のF君のレッスンとき、その後はギターを弾いているか聞いたら、「毎日練習している」と答え、今度また違う曲を教えてほしいと、曲のリクエストまで僕にくれました
彼の心に火がついたのだと僕は感じました
よく行く喫茶店のママから、こんな話を聞きました
数年前、家族や友達数名とハワイへ行き、コンドミニアムに1週間くらい滞在したことがあるそうです
友達の何人かは英語ができたので、買い物や外食など何も不自由しなかったらしいのですが、ほとんどそれらのことを記憶していないらしいです
よく覚えているのは、ママを含めて英語を誰もわからないというグループで出かけたとき、行き方も帰り方も全くわからない状況になって、必死に現地の人に日本語とジェスチャーを交えながら、何とか楽しんで来ることができたという経験だったそうです
ママが言っていたのは、「人に助けてもらった部分に楽しい記憶が一つもない」、「大変な思いをしたことの方がいい思い出になった」ということでした
全てを問題なく旅行できるのがいいか、ハプニングや苦労の一つ二つがある旅行がいいか、人それぞれだとは思います
でも、思い出として記憶されるのは、上手くいかなかったときの方が圧倒的に多いのかもしれません
記憶とは不思議です
スクラップブックの中身のボリュームを増やしました
このファイルの中に、写真が沢山貼ってあり、その写真の単語を発音練習していくための物です
生徒さんにどれくらい単語を覚えているのかをテストしてみたら、僕が思っている以上に皆さん記憶していたので、驚きました
ほうき、体温計、封筒、消火器・・などなど、身近にあるけど英語で言えないものがまだまだ沢山あるはずなので、それらを知ることによってコミュニケーションにも役立つと僕は思います
単語練習をやるときに「意識をしてやる」ということが、とてもいいと最近気が付きました
例えば、「今日はファッションに関する単語を意識してみよう」という具合です
そうすると、今まで単語力を鍛える練習の中で触れていたのに、気が付かなかったファッションに関する単語に、気が付くことができるようになります
自分が新しく買った車と同じ種類の車を、急によく街で見かけるようになるのは、その車が街に増えたわけではなく、今までその車に意識がなかっただけです
何かに意識をして外に出たら、今まで気が付かなかったことに沢山気が付くようになるかもしれません
英語は、暗記しただけでは使えるようにならないということは、多くの人が何となくわかっていることだと思います
僕は、何をすることが「使える英語」を身に付けることにつながるのだろうと、毎日のように考えています
最近感じることは、使っているという「実感」が身になるということにつながっているのではないかということです
例えば、サッカーの素人Aさんを、無理やりですが、プロのサッカーの試合に練習もさせずに1000時間(500試合)出場させたとします
練習をしなければ試合では選手として使い物にはなりませんが、Aさんは1000時間の試合の中で、試合をする感覚を養うことができます
もう一人の素人Bさんには、プロが練習しているところや試合をしているところを1000時間見せて、「サッカーのやり方」を教えます
BさんはAさんよりもサッカーに関しての知識は沢山持っているかもしれません
では、どちらが「サッカーを実際にプレーできるか」を比べたら、Aさんなのは明らかでしょう
1000時間試合をしたという実感と経験は理屈や理論は後回しにして、「サッカーをプレーできる人」にします
英語に関しても同じだと思います