昨日はバンドの練習がお昼にあって、夕方から僕の実家に行って夕食をいただきました
そこでの話ですが、最近僕の妻が病院の受付の仕事を始めて、「女性が多い職場」ということで、僕の母と大変だよね~という話で意気投合していました
ちょっと目立ったことをすれば、その人は職場での居心地がどんどん悪くなるらしいです
女性だけの職場は大変だという話はよく耳にしますが、なぜ「女性だけ」になると大変になるのだろうと僕は不思議に思います
一人ひとりと個人的に会話をしてみると、「この人が職場の悪い環境を作っているな」と感じさせる女性はそう出会いません
女性は集団になると、性格が変わるのでしょうか?
例えば、10人の女性仲良しグループがあったとします
その10人だけで会社を作って仕事を始めます
1年後、その職場の環境はどうなっているのでしょうか?
もしこの会社の環境が1年後もいい環境だとしたら、それは「もともと仲良しだったから」なのでしょうか?
それとも、「女性の職場には黒い部分が必ずある」というのは、単なる多くの女性の思い込みなのでしょうか?
これは仮定です
AさんはB君のことが好きで、なぜB君のことが好きなのかを聞いたとします
答えとして「B君は私にやさしいから」と言われると、何となく納得してしまいます
だけど、よく考えてみると、Aさんに対してやさしいのは、本当にB君だけなのか?
C君やD君も友達としてとても優しいし、気が利きます
こう考えると、「B君は私にやさしいから」という答え以外に何かあるはずです
だけど、Aさんに対して、他にないの?と聞いても、これという決定的な理由はAさん本人にもわからないかもしれません
人に対してもそうですが、物に対しても、例えばコーヒーが好きな理由、サッカーが好きな理由、映画が好きな理由などは全て、「何となく」になるような気がします
僕が思ったのは、誰か(何か)を好きになるときは、①自分を取り巻く環境と、②ちょっとしたきっかけがあって、そうなるのだと考えています
言葉で人に上手く説明できない「感性」というものは、とても奥深く感じます
昨日の夜、妹にうちに来てもらい、髪を切ってもらいました
今回はスッキリと横、後ろをかりあげてもらいました
出来上がりを見て、妹と僕の奥さんが「エグザイルっぽくなった」、「ほんとだ、エグザイルっぽい」と言いました
「エグザイルっぽい」ってどういうことだ?全員が同じ髪型をしているわけでもないのに、エグザイルの中の誰のことだろう?
2人曰く、エグザイルの中にいそうな感じということらしいです
ということは、2人の持っているエグザイルに対する共通概念が、「かりあげ」なんです
仕上がってから鏡を見て僕も、なるほど、確かにエグザイルっぽいなと思ってしまいました
それにしても、人が持っているエグザイルに対する共通のイメージというものは、必ずしもエグザイル本人そのものってわけではないみたいです
髪が長い人もいるし、坊主をちょっと伸ばした髪型の人もいるし・・
もし僕が髪を伸ばしたら、それもエグザイルっぽいのでしょうか?いや、ないと思います
だから、この共通概念は不思議です
まあ、僕の踊りのレベルはNHK教育テレビでやってる「おかあさんといっしょ」のパワーアップ体操にやっとついていける程度ですから、髪型だけでも、いい夢を見させてもらいました
チラシを配りに車で外へ出ました
信号待ちをしているとき、僕の車の前を横断した自転車の女性が、ふと、ハンドルから手を放してその手のにおいをかぐのを見ました
それを見たら、僕も理由もなくハンドルから手を放して自分の手のにおいをかいでみました
特に自分の手のにおいのことなど考えてもいなかったのに、なぜかその女性のマネをしてしまいました
不思議です
ほかにも同じような経験はしたことがあります
誰かがズボンのチャックを上げているのを見て、自分のチャックが上がっていることを確認したり、誰かが髪の毛を触っているのを見て、自分もなんとなく髪を触ってみたり・・・
つられてやってしまうこともあるだろうし、気にしてなかったのに、あるきっかけで気になることもあるのかもしれません
自分のことなのに、興味深いです
最近、音楽を聴く時間がだいぶ減りました
その理由の一つが、「CDを機械の中へ入れるのが面倒だから」ということがあります
こんな作業、普通は当たり前なのに、ワンクリックで音楽を聴ける時代になってから知らぬ間に、「面倒なこと」になってしまいました
ハッキリ言って、音楽は聴きたいです、だけど、面倒臭さが勝ちます
「自転車で行ける距離を車で行く」、「地図は使わず、ナビを使う」・・・
便利になることは素晴らしいことだけど、将来の人間があまりにも頭と体を使わなくなってしまったときにどうなるかを考えると、怖いです
これに関して、もう少し掘り下げて考えてみます