昨日は、先週このブログに書いた、英語を話そうとすると固まってしまうAさんのレッスンでした
先週のレッスンでは、簡単な質問をするにも、「・・・」と頭の中で文章を作る時間がかなりかかっていました
それが、僕が「文章を作ることにこだわらず、単語だけでもどんどん出していきましょう」というアドバイスをしたら、昨日のレッスンでは、これほどまでに会話がスムーズになるのかと思うほど、Aさんは変わりました
Aさんは僕に、“Where・・born・・you・・?”と質問をしました
会話の中では、話の流れからこの質問が、「あなたはどこで生まれましたか?」という意味だと何となく理解できます
これがうちの教室で目指している、コミュニケーションです
キレイな発音や文章にこだわりすぎて結局何も言えないよりも、バラバラな文法でも、相手に伝えたいという気持ちをそのまま出していくことから始めるというのが、僕の考え方です
Aさんのおかげで、たった1週間でも会話の内容のほうに意識を持っていけば、コミュニケーションのストレスを減らすことができるのだなと強く感じることができました
今年のワールドカップサッカーで、ブブゼラというラッパのようなものが客席で鳴り響いています
テレビで試合を観戦する人にはあまり気にならないものに見えますが、選手にとってはかなり厄介なものになっているようです
ブブゼラの音が大きすぎて、選手同士のコミュニケーションが取りづらいらしいです
日本の選手達は、ブブゼラ対策として、大きなジェスチャーで支持を出し合って試合中のコミュニケーションを何とかうまくやろうというミーティングをしたと、テレビのニュースで見ました
ここにも、コミュニケーションの本質が見えるような気がします
普通の試合なら大きな声を出せば言葉で通じ合える状況でも、それがうまくできない時にどうやって相手と意思の疎通をとるかを考えることは大切です
英語を話すときも同じで、言葉でうまく相手に伝えづらいときに、コミュニケーションそのものをあきらめるか、それとも、ジェスチャーなどを使って工夫しながら会話を続けるのかで、大きな差がでると思います
カタカナ英語の発音練習をレッスンの中に取り入れているのですが、面白い事が起っています
多くの生徒さんに共通する事ですが、最初は僕の後についてカタカナ英語の発音を練習していると、すでに意味を知っている単語がほとんどなので、自分の先入観で発音を作ってしまいます
そんなわけで、僕が発音した通りには発音できない人が多いのです
だけど、150単語位を早いペースで一気にリピートしていると、途中から無意識状態に入るみたいで、急に僕が発音した通りに繰り返すことができるようになっていきます
生徒さん達は無意識なので、このことには気が付いていません
とても不思議なのですが、脳みその使い方が途中で切り替わるのでしょうか?
Aさんは始めたばかりの生徒さんで、誰かに英語で話しかけられた時点で、極度の緊張状態になってしまいます
僕が質問することに、少し理解をし始めた感じがした昨日のレッスンでした
だけど、自分が話そうとすると、「頭が真っ白になって、何も出てこない」と話していました
よく話を聞くと、頭が真っ白というよりかは、頭の中で一生懸命に自分が言いたい事を文章にしていて、沈黙ができてしまう状態になっていたみたいです
僕は彼女にレッスン後、自然なコミュニケーションは、しっかりした文章よりも、短い表現がけっこう多いから、単語を並べて通じたなら、ラッキーにしましょうと伝えました
例えば日本語だと、「どこへ行くの?」と聞かれて、「私は静岡駅へいくところです」と答えると、文字を読んでいるような不自然さがあります
会話の中であれば、「静岡駅だよ」と短く言ったほうがより自然です
英語の会話でも同じ事がいえます
Aさんは「肩の荷が下りて楽になった」と言っていました
“Try one word, get one feedback!”
英語をどれだけ話せても「いや、話せません」という人、あまり話せないのに「話せます」という人、それぞれです
ということは、「話せる」と「話せない」の境界線は自分が作るものだということです
僕の友人で、英語をあまり知らないのに、バーで外国人と仲良くなって、野球の話で盛り上がっちゃうような人がいます
彼とその外国人との会話を聞いていたら、彼の言っていることの半分以上は日本語でした
だけど、お互いに会話を楽しんでいます
そんな彼は、「英語はまあまあ話せる」と言っていました
結局は、英語を使えるかどうかは、心理的なものだと僕は思っています
使えない英語を勉強するよりも、不器用でも、知っている英語をどんどん使ってみる努力をするほうが、よっぽど大切です